学校をもっと、「自分の考え」を言える場所に

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 Wonderful☆Kidsは、子どもたちの考える力を伸ばし、「生きる力」を伸ばすスクールです。

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こんにちは。Wonderful Kidsの狩野みきです。

20年にわたって大学で卒業論文指導をしてきた私ですが、学生たちには授業の初めに、ある質問を投げかけることにしています。

その質問とは…

「論文って、ところで何?」

自分の意見を言うことが当たり前となっている私のクラスでは、このような質問を投げかけられても皆ひるまず、あれこれ発言してきます。先日の授業でも色々な意見が出て…

「論文とは、今まで勉強してきたことの集大成」
「後から自分で誇りを持てるようなもの」
「人を納得させるもの」

日本の中学や高校で提出する「レポート」との違いに気づかせたり、わざわざ労力や時間をかけて書く「ロンブン」の意義を意識させるのがこの質問のねらいなのですが、しばらく経つと、ある学生がこんなことを言ってきました。

「私たちが今まで学校で教わってきたことは全て、自分以外の誰かが考えたり、見出したこと。私たちは、他の誰かが考えた『何か』に対して、自分の考えを表明するということはなかった。でも、論文は違う。今までとは違って、自分の考えを表明する場だと思う」

がく然としました。この学生の発言に、日本の学校教育の姿が集約されているような気がしてなりませんでした。

「私たちは、他の誰かが考えた『何か』に対して、自分の考えを表明するということはなかった」という言葉には、多少の誇張も含まれているかもしれません。でも、少なくとも、この学生にとっては、教育の場というのは「これについては私はこう思う」と自分の考えを述べたり、「じゃあ、みんなはどう?」と他の人と意見を交換する場ではなかったのですね。

私は、日本の子どもたちにクリティカル・シンキングや「考えること」の喜びを、もっと知ってもらいたいと思って(細々とではありますが)日々活動しています。今の小学生が大学生になる頃には、「学校では色んなことを教わったし、教わったことについてたくさん考えた」と言ってもらえるように、「細々」を少しでも「太々」にできるよう、これからも活動していきます。

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