月別アーカイブ: 2012年5月

「人生を主体的に生きていくための、クリティカル・シンキング」開催

Wonderful☆Kidsは、子どもたちの考える力を伸ばし、「生きる力」を伸ばすスクールです!
Wonderful☆KidsについてのTEDトークの全文(英文)はこちら
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こんにちは。Wonderful☆Kids の狩野みきです。

日頃からこのブログでも「考えることは、日常を生きていくための大事な力」と力説(?)していますが、その集大成とも言えるワークショップを7月に都内で開催することが決定しました!

題して「人生を主体的に生きていくための、クリティカル・シンキング」。

「ビジネスに勝つための」クリティカル・シンキングではなく、自分の人生を舵取りするためのクリティカル・シンキング、がテーマ。大人の方が対象です。詳細はこちら

このワークショップを主催して下さるのは、アインシュタイン博士を提唱者とするNPO法人世界連邦21世紀フォーラムさん。「学び」と「対話」を通じて、世界平和について共に考え、それを実現すること—を目標に、様々な活動を繰り広げていらっしゃいます。

私のレッスンや講座はいつもそうですが、7月のこちらのワークショップも、参加下さる皆さんと「対話」しながら、「生きるための考える力とは何か」ということについて考えていきたいと思っています。

ディスカッションや対話をすることが、いかに互いの考えを深めるか—これは、私が日々実感していることです。一例を挙げますと…

先日、大学でのクリティカル・シンキングの授業で「意見」と「事実」の違いについて話をしていた時のことです(意見と事実を区別することは、クリティカル・シンキングの基本なのです)。

色々な例を出して、学生たちに「これは意見/事実、どっち?」と尋ねました。「ミッキーマウスは人気者だ」「ニンジンはビタミンが豊富だ」などなど。「事実」は「証拠」を伴うものなので、この2文はいずれも「事実」と判断できるのでは、というところに話が落ち着きかけたところ…

ひとりの学生が「この2文を否定文にした場合、たとえば『ニンジンはビタミンが豊富じゃない』と言った場合は『間違った事実』になりますか、それとも『意見』になりますか」と聞いてきました。

否定文にした場合、という問いかけにハッとさせられました。想定外だったからです。

そこで、皆でさらにディスカッションすることになりました。そもそも「間違った事実」って何?「事実」と私たちが認識しているものの「反対」にあるのは「反事実」ではなく「意見」なのでは?「事実」とは「大方の人が賛同しているもの」という側面があって、それに挑むことは「(少数)意見」として片付けられることが多いのでは、などなど…

このような質問や疑問、そして、そこから生まれる対話は、考えを深めるための重要な「糧」です。思いがけない質問や意見が肥やしとなり、視点が増え、考えが深まる。それこそが「考えること」の醍醐味だと思います。

7月のワークショップでも、皆さんの意見を糧に皆で考える「考えるというライブ」感を味わっていただければ、と思っています。

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「日常を生きる」ための考える力、とは

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こんにちは。Wonderful☆Kids の狩野みきです。

考えることが「日常を生きていくための力」につながる、というのが私の信念ですが、では、日常を生きていくために考えるってどういうこと?というのが今日のテーマです。

先日、友人からとある中学生の女の子の話を聞きました。塾での成績が最近あまりよくないので下のクラスに落とされそうだ、というのです。塾で下のクラスに落ちるかもしれない、という話をし出した途端に彼女が泣き出してしまって…と友人は話していました。

大人の感覚からすると(過去に同じような経験をして、その記憶が鮮明に残っている人は別にして)、「下のクラスに落とされたってまたがんばればいいんだし、所詮塾でしょ、何もそんなに深刻にならなくてもいいじゃない」と思えるかもしれません。

でも、この女の子にとってはこの一件は「所詮」などというレベルではないのです。理由はさておき、彼女の日常を揺るがす一大事なのですよね。

自分にとってはこの上なく大事なことだからこそ、一生懸命考える。たいへんな時は友だちや家族が助けてくれるかもしれないけれど、最終的には他の人の意見を優先させなければいけないかもしれないけれど、とりあえず「自分はこの件についてはこう考える」という基本姿勢を持つ—それが、自分の日常を生きるために「考える」ということだと思います。

例えば上の女の子の場合なら、「なぜクラスが落ちることがそれほど意味のあることなのか」考えるところからスタートします。考えていくうちに、もしかしたら泣く必要なんかないのかも、と思えるかもしれないし、効果的な勉強法が見えてくるかもしれない…つまり、より納得のいく、よりハッピーな日常を送るための道筋が見えてくるんですね。

将来、どんな境遇にあっても納得のいく「日常」を生きていけるようになるために、小学生にはまずは「考えること」を習慣化してもらうことが大事だと思っています。

そして、何よりも、「考えるって楽しいなぁ」と実感してもらうこと。どんなに大事なことも、楽しくないと長続きしませんから…

考えるって楽しいの?というツッコミが聞こえてきそうですが、友だちと話し合って自分たちで納得のいく正解を探していく—という作業は子どもたちにとって、大人が想像する以上に楽しいことのようです。

子どもたちにしてみれば、ちょっとした「探検」なのかもしれないですね。

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